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ポルトガル史

大西洋に面した南欧の国、ポルトガルの簡単な歴史

この記事の目次

先史時代

イベリア半島には初期から人類が進出し、アフリカからイベリア半島に移住した移民と先住民との混血が進んでスペイン人、ポルトガル人と共通する特徴を持つ人種が誕生した。

石器時代のイベリア半島西部では移住生活が営まれ、強力な持つ部族は存在していなかった。紀元前5000年代の新石器時代には定住生活が営まれるようになり、巨石文化が発展した。

紀元前1000年ごろから北方に住んでいたケルト人は陸路を通ってイベリア半島に移住し、ケルト人と先住民との混血が進んだ結果、ケルト・イベロ族が現れた。その子孫とされるルシタニア人は狩猟、農業を営み、彼らが居住する地域はルジタニアと呼ばれた。

紀元前8世紀ごろ銀を求めるフェニキア人がイベリア半島沿岸部に到来し、それに遅れてギリシア人が植民した。その後、フェニキアの植民都市カルタゴが西地中海のフェニキア人の交易拠点を支配し、イベリア半島の植民都市もカルタゴが継承する

ローマによる支配

ローマカルタゴの間で起きたポエニ戦争が終結するとカルタゴは海外植民地をすべて喪失し、ローマイベリア半島の支配権を握った。

ローマの支配下で人種的・文化的に異なるイベリア半島の先住民のローマ化が進展し、共通の言語としてラテン語が使われるようになる。やがてポルトガルスペインガリシア地方で、俗ラテン語から派生したガリシア・ポルトガル語が話されるようになる。

ゲルマン人のイベリア半島に進出

5世紀の初頭には衰退の進んだローマゲルマン人が侵入してきた。ポルトガル北部に侵入したゲルマン人の一団は、ローマ化したルシタニア人の居住地に隣接した地域で定住生活を開始する。5世紀前半にはスエビ族によってブラガを首都とするガリシア王国が建国されたがやがて西ゴート族の西ゴート王国に併合される。その後、ポルトガル北部にスエビ王国の新王朝が樹立されが、585年にスエビ王国は西ゴート王国によってまた滅ぼされる。

ゲルマン人の統治下ではキリスト教の拡大が推進され、ブラガポルトガル最高位の司教座に定められた。スエビ王国ではアタナシウス派のキリスト教を信仰する先住民が多数派であり、スエビ族はこれまで信仰していたアリウス派からアタナシウス派に改宗して先住民との融和を図る。スエビ族に勝利した西ゴート族もアタナシウス派に改宗し、王権と教会の間に同盟関係が成立する。

イスラム支配とレコンキスタ

711年にイスラーム勢力はジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島に進出し、西ゴート王国を滅ぼした。715年までに最北部を除くイベリア半島全域はイスラーム勢力の支配下に入るが、アラブ人と征服活動に従軍していたベルベル人の間で内戦が起きると、ウマイヤ家のアブド・アッラフマーンは内乱を鎮定し、この地で後ウマイヤ朝を創始した。イスラーム勢力の影響下に置かれなかったイベリア半島北部では、718年に西ゴート系の貴族ペラーヨを王とするアストゥリアス王国が建国された。1031年に後ウマイヤ朝が断絶した後、イスラーム勢力は弱体化する。 

10世紀頃からレオン王国、アストゥリアス王国などがレコンキスタと呼ばれる「国土回復運動」を展開し始めた。1096年、カスティーリャレオン連合王国のアルフォンソ6世は、娘婿でブルゴーニュ家の騎士アンリ・ド・ブルゴーニュポルトゥカーレ伯領とコインブラ伯領を併せて与えた。

ポルトガル王国の成立とレコンキスタの完了

1137年にアンリの子アフォンソ・エンリケスは、アルフォンソ7世への臣従と引き換えにポルトガル北部の国境を取り決めた。その後、1143年にアフォンソ1世を創始者とするブルゴーニュ王朝ポルトガル王国が創始され、国土回復運動を推進し、13世紀にこれを完了させた。

アヴィス王朝の成立と海外進出

1385年、ブルゴーニュ王朝が断絶するとジョアン1世が即位して、アヴィス王朝を開いた。

1419年からエンリケ航海王子による西アフリカ探検が開始され、大西洋の島々の発見と植民が行われた。ブラジルの領有化、ヴァスコガマインド航路完成(1494)、カブラルブラジル到達(1500)などを通じて広大な植民地を開いた。

ハプスブルク家の統治

王統が断絶すると、1580年からスペインフェリペ2世の支配下にはいり、その間、多くの植民地を喪失した。

1640年にスペインの内乱に乗じて、ブラガンサ王朝がポルトガルの独立を回復した。 

ナポレオンの侵入とブラジルの独立

大陸封鎖を完成するため、1807ナポレオンに占領されたが、イギリスの援助で解放戦争を展開し、ブラジルからジョアン6世が帰国して、立憲君主国を樹立した。

ジョアン6世の帰国後、ブラジルでは王子ペドロが独立を宣言、ポルトガルブラジルを失った。 

ポルトガル共和国

1910年に共和派は軍人と協力して革命を起こして共和国を樹立した。その後、第一次世界大戦には連合国側に参戦(1916)した。 しかし戦後、労働運動の高まりで政局が困難になると、軍部によるい独裁が開始された。 

1932年にサラザールは首相に就任し、ポルトガルの体制は軍事政権から文民政治に移行する。その後、新憲法を制定して、国家統一党の単独政権を樹立した。

1936年のスペイン内乱ではサラザールフランシスコ・フランコの反乱軍を支援し、第二次世界大戦には中立政策を採用した。 

民主化運動の進展

1969年のサラザールの辞職後、植民地問題・インフレ問題から反政府運動が激化し、独裁体制は崩壊した。その後、新憲法が公布され左翼勢力による社会主義化が進んだ。 

1975年にモザンビーク・アンゴラなどの植民地が独立した。1986年にはEU加盟が実現した。

 

 

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